2015年度 センター試験問題 本試験 世界史B (NTCIR12 QALab-2タスク サンプル問題)


Factoid(事実型)

【2】

歴史の中で,人間は様々な生物とかかわりを持ってきた。とりわけ家畜化された動物とは深い関係にあり,それは社会や文化だけではなく,ときには国家のあり方にすら大きな影響を及ぼすことがある。人間と家畜との関係について述べた次の文章A~Cを読み,以下の問い(問1~9)に答えよ。
(配点 25)

馬は6000年ほど前に家畜化され,前2千年紀には戦車を引く馬が登場した。その後,手綱につながれる馬銜の改良によって騎乗が普及すると(次参照),ユーラシア大陸には(1)騎馬遊牧民が出現した。彼らの神出鬼没ぶりは農耕民の定住社会にとって大きな脅威となり,それに対抗するために騎馬軍団が組織されることもあった。汗血馬を求めた(2)漢の武帝のように良馬を求める為政者も現れ,馬は農耕民と遊牧民との間の交易の重要な品目となった。また,(3)モンゴル帝国は強力な騎馬軍団によって版図を拡げ,駅伝制を整備したため,ユーラシア規模で人と物資の往来が盛んになった。


問1 下線部(1)に関連して,6世紀に台頭し,国家を築いた騎馬遊牧民として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。 10
  • スキタイ
  • 突厥
  • 月氏
  • 匈奴
[その他用語,外部知識]

Slot-Filling(穴埋め)

【1】

人類が営む生業と労働は,経済・社会・政治の動きと密接にかかわりながら,大きく変容してきた。生業と労働の歴史について述べた次の文章A~Cを読み,以下の問い(問1~9)に答えよ。
(配点 25)

清の学者趙翼は,明代の文化人の趨勢を論じて,(1)唐宋以来,文化・芸術に秀でた者の多くは科挙の合格者であったが,(2)明代になってその担い手は在野の人物に移っていったと述べている。明代中期の画家唐寅は,まさにその過渡期の人物と言える。彼は科挙で優秀な成績を収めながらも,不運な事件に巻き込まれ,栄達の道を絶たれてからは,蘇州で画業をなりわいとしながら自由奔放な生活を送った。明代中期から後期にかけて,在野の芸術家や文筆家が続々と現れたのは,(3)江南を中心とする商工業の発展によって都市の文化が成熟し,絵画や出版物が広く商品としての価値を持つようになったからであった。

問3 下線部(3)について述べた次の文章中の に入れる語の組合せとして正しいものを,以下の①~④のうちから一つ選べ。

明代中期から,長江下流域では絹織物や綿織物などの手工業が発展する一方,穀倉地帯は長江中流域に広がり,「 熟すれば天下足る」という言葉が生まれた。山西商人や新安商人が活躍し,各地の都市に互助組織である会館や が置かれた。

  • ─湖広 ─公所
  • ─湖広 ─租界
  • ─蘇湖(江浙) ─公所
  • ─蘇湖(江浙) ─租界
[(symbol-term_other)*2,外部知識]

True/False(真偽判定)

【1】

人類が営む生業と労働は,経済・社会・政治の動きと密接にかかわりながら,大きく変容してきた。生業と労働の歴史について述べた次の文章A~Cを読み,以下の問い(問1~9)に答えよ。
(配点 25)

清の学者趙翼は,明代の文化人の趨勢を論じて,(1)唐宋以来,文化・芸術に秀でた者の多くは科挙の合格者であったが,(2)明代になってその担い手は在野の人物に移っていったと述べている。明代中期の画家唐寅は,まさにその過渡期の人物と言える。彼は科挙で優秀な成績を収めながらも,不運な事件に巻き込まれ,栄達の道を絶たれてからは,蘇州で画業をなりわいとしながら自由奔放な生活を送った。明代中期から後期にかけて,在野の芸術家や文筆家が続々と現れたのは,(3)江南を中心とする商工業の発展によって都市の文化が成熟し,絵画や出版物が広く商品としての価値を持つようになったからであった。

問1 下線部(1)に関連して,次に挙げる人物は,いずれも唐代から宋代にかけての科挙の合格者である。それぞれの人物について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
  • 欧陽脩や蘇軾は,唐代を代表する文筆家である。
  • 顔真卿は,宋代を代表する書家である。
  • 宋の王安石は,新法と呼ばれる改革を行った。
  • 秦檜は,元との関係をめぐり主戦派と対立した。
[文,外部知識]

True/False(真偽判定)

【2】

学校のあり方は,時代と地域によって様々に異なっていた。世界史における学校・教育に関する次の文章A~Cを読み,以下の問い(問1~9)に答えよ。
(配点 25)

10世紀以降における中国の学校は,(3)科挙の受験に備えるものが多く,学問も儒教が最も重んじられた。16世紀に,(4)イエズス会の宣教師が西洋の学問を伝えたが,西洋の学問が儒教に代わって主流となることはなかった。19世紀の洋務運動以降の諸改革の中で,西洋の科学技術や学問に関心が集まり,学堂と称する新式の学校が設立された。また,1870年代より海外への留学生派遣も始まった。1919年には,フランスで働きながら学ぶ勤工倹学が始まり,後に中国共産党の指導者となる(5)周恩来などが渡仏した。

問6 下線部(5)の人物について述べた次の文の正誤の組合せとして正しいものを,以下の①~④のうちから一つ選べ。 15

中華ソヴィエト共和国臨時政府の主席であった。
中華人民共和国の初代首相に就任した。
  • ─正 ─正
  • ─正 ─誤
  • ─誤 ─正
  • ─誤 ─誤
[(symbol-TF)*2,外部知識]

Unique(特殊)

【2】

学校のあり方は,時代と地域によって様々に異なっていた。世界史における学校・教育に関する次の文章A~Cを読み,以下の問い(問1~9)に答えよ。
(配点 25)

(6)学校教育で使われる歴史教科書は,記述の内容により,他国民に対する一面的な見方を作り出す可能性がある。このような問題の解決に向けて,第一次世界大戦後の(7)北欧諸国では,出版前の教科書を隣国の歴史家が検討する制度が作られた。第二次世界大戦後には,歴史教育をめぐる多国間の対話が進んだ。近年の試みの一つとしては,以前に(8)ユーゴスラヴィアを構成していた諸国をはじめ,バルカン半島とその周辺の国々の専門家が協力して,共通歴史副教材を作ったことが挙げられる。

問9 下線部(8)の国について述べた次の文またはと,1991年に解体が始まる前のこの国の位置を示す以下の地図中のまたはとの組合せとして正しいものを,以下の①~④のうちから一つ選べ。 18
この国は,コミンフォルムから除名された。
この国では,チャウシェスク政権が打倒された。

[symbol-symbol,外部知識,地図理解]

Unique(特殊)

【4】

政治的・経済的な目的や宗教的な信条を共にする人々は,様々な形で結び付きを模索してきた。それぞれの時代や地域に特有な同盟や結社の形について述べた次の文章A~Cを読み,以下の問い(問1~9)に答えよ。
(配点 25)

古来ヨーロッパでは,共通の敵に対する攻撃や防衛の手段として,同盟関係が築かれていた。(1)古代ギリシアでは,アテネやスパルタなどをそれぞれ盟主として,都市国家(ポリス)の間で同盟が結ばれた。西ローマ帝国が崩壊した後の西ヨーロッパでは,(2)フランク王国がいち早くローマ教会と結び付き(次参照),それによってフランク王国は,他のゲルマン諸王国に先んじて,新たな権威と権力基盤を獲得できた。世俗権力の援助を必要としていたローマ教皇と,利害が一致したのである。またその後,(3)神聖ローマ帝国においても様々な利害が交錯し,しばしば皇帝の政策をめぐって,あるいは宗派対立のなかで,多様な同盟が取り結ばれることになった。

問2 下線部(2)に関連して,フランク王国やその後の東フランク王国の王について述べた次の文が,年代の古いものから順に正しく配列されているものを,以下の①~⑥のうちから一つ選べ。 29
オットー1世が,ローマ皇帝位を授けられた。
クローヴィスが,アタナシウス派(カトリック)に改宗した。
ピピンが,王位についた。
[o(symbol-symbol-symbol),外部知識]

解答形式
symbol-symbol1
1
o(symbol-symbol-symbol)1
(symbol-term_other)*21
(symbol-TF)*21
その他用語1
知識形式
外部知識6
地図理解1