AgentSpace: History

AgentSpace開発履歴(最終変更2001年4月23日)

佐藤 一郎

システムのバグフィックスや変更などの履歴をまとめるつもりでしたが、 1997年10月以降はほとんど変更を行っていないためネタがなく、戯れ言といいますか、不定期の日記と化しております。こんなものを書いている暇があったら論文を書けといわれそうです。

1997年8月31日

実装開始

1997年9月1日

HTTPプロトコルベースのモーバイルエージェントシステム完成。なお、クラスファイルをオンデマンド転送方式を採用。 二日間で書いたにしては安定していた。

1997年9月6日

開発環境をMacintosh(PPC604-120MHz)からWindows95に変更。しかし、Pentium90MHz+RAM16MBでは大差なし。

1997年9月10日

エージェント間通信機構を実装

1997年9月末

かのR.Milner先生より、Mobile Ambientsについて教えてもらう。しかし、愚かな私は、その重要性を認識せず、むしろR.Milner先生の 本Communication and Concurrencyにサインをもらったことを喜ぶ。

1997年10月始め

クラスファイルのオンデマンド転送に見切りをつけ、一括転送方式を採用。クラスファイル3つ以上あるエージェントでは、1ホップ通信でも2倍以上高速化された。

1997年10月始め

開発環境をPentium200MHzに移行。それに伴いエージェント転送前に圧縮を行う方式に変更。

1997年10月始め

UDP転送版を作成。大幅な性能向上はなく、UDP版は開発を中止。

1997年10月中旬

研究が忙しくなり、システム開発を打ち切る。以降、大幅変更予定なし。

1997年12月始め

デモンストレーションのために新潟にいく途中、新幹線車内で、テストのために2台のNotePCを10BASE-Tのクロスで繋いで車内LAN。 当然、周りの乗客から変な目で見られる。

1997年12月始め

π計算のチュートリアルの講師でいったはずの日本ソフトウェア科学会のワークショップで、IBM、富士通、IPAの皆様と「エージェントシステムと競演」というセッションでデモをする事態に。競演の「競」の時におびえる。また、セッションチェアからの名前を付けて欲しいということで、AgentSpaceという名前をつけることに。暇つぶしで作っている当方と違い、メーカの方は気合いが入っている。それにしても、会社の方はいいですよね。開発要員がたくさんいて!。こっちは通勤電車内でコツコツ開発。

1997年12月始め

Threadスケジューラを自前で書こうと試みるが、通信Socketがらみでデッドロックする。原因は不明。

1998年1月28日

一部関係者に配布準備版を公開

1998年2月20日

HTTPの拡張プロトコルによるエージェント転送版を公開(翌日中止)。これに伴い新規URLを導入。

1998年2月28日

配布準備版の不具合(モニターウィンドウのイベント)を修正した バージョン(2/28日版)を公開

1998年3月3日

配布準備版の問題を修正し、一般配布版を公開。 ご協力いただいたみなさまに感謝します。

1998年4月上旬

高階版(MobileSpaces)の実装開始。開発環境をPentiumPRO(180MHz)x2に変更

1998年4月下旬

某全国紙記者が取材にやってくる。「時期をみて記事にする」と言い残して帰っていった。しかし、その後記事になったという話を聞かないけど・・・

1998年5月下旬

1日当たりホームページアクセス箇所が300箇所を突破。ほとんどが大手電気メーカ、大手自動車メーカ、大手通信会社からアクセス。大学関係者が少ないのはなぜ?

1998年7月中旬

筑波行きの高速バス車内、2台のNotePCを10BASE-Tのクロスで繋いで車内LAN・デバッグ。白い目で見られるかと思いきや、さすが工業技術院を通るバス。周りの乗客におだてられて車内デモ。

1998年7月27、28、29日

初の海外デモ。フランスでデモンストレーション行脚(パリ第6大、ソニーCSLパリ、INRIA)

1998年9月11日

日本ソフトウェア科学会全国大会において、高階版モーバイルエージェントシステム (MobileSpaces) の発表とデモンストレーションをする。高階版の一般向け デモンストレーションはこれが初めて。論文の方は高橋奨励賞を頂きました。 なお、当方はセッション座長であったにもかかわらず高橋賞審査会をさぼってしまいました。関係者のみなさま申し訳ありません。

1998年9月14日

エージェント間通信機能を拡張を行う。同機能部分は一年ぶりにプログラムの変更になる。ひとまず場当たり的にタイムアウト機構を導入し、エージェント間通信用のAPIを追加。学内でβテスト開始。

1998年9月28日

AgentSpaceのマイナーバージョンアップ版公開(9/28版)。変更箇所はエージェント間通信(callとfuture)にタイムアウト機能を付加。また、それに伴 いAgentManager.java、AgentRuntime.java、AgentContext.java、 Message.java、Future.javaの一部が変更となりました。バイナリレベルの互換性は保持されており、旧バージョン(3/3版)用に作成したエージェントのバイナリプログラム及び永続化ファイルの変更は必要ありません。

1998年10月12日

モニター画面の「Stop」ボタンを押したときに、本来destroy()コールバックメソッドが呼び出されるべきところが、suspend()が呼び出されていました。destroy()を呼び出すように修正しました。

1998年10月13日

AgentSpaceのマイナーバージョンアップ版公開(10/13版)

1998年10月15日

開発環境をPentiumII(450MHz)に移行。PentiumPRO(200MHz)の2CPUマシンと比較するとコンパイルは1.8倍ぐらい速くなったが、スレッドを多用したMobileSpacesの速度は大差ない(OSをWindowsNT5.0β2にしたのがいけないのか?)。やはり、並列計算機は過負荷に強い。

1998年11月9日

Visual J++6.0とJDK1.2 Release Candidateへの対応作業を開始。VJ++6.0は正常にコンパイルできるが、エージェントのGUI動作がおかしい。java.awtのライブラリも実装はpeerクラスのcom.msに頼っている模様。しかし、VJ++6.0を使ったバージョンが動作速度的には一番速いです。JDK1.2にはソースコード修正によりコンパイル可能となったが、エージェント移動などができない。JDK1.2β2まではコンパイルと実行ができるように適宜修正をしてきたが、いたちごっこなのでJDK1.2への対応はバージョンアップが安定するまで延期します。JDK1.2β2にあわせて作った(未公開の)ドラッグアンドドロップインターフェースがJDK1.2RCで動かないのがつらい(API仕様が多く変わっている)。MobileSpacesの方は全滅。

1998年12月8日

JDK1.2の公開にあわせて、AgentspaceのJDK1.2対応版を一部関係者に公開(12月10版)。ただし、今度はJDK1.1でコンパイル不可能となるとので、一般公開は延期。あわせてMobileSpacesもJDK1.2に移植。java.lang.Threadのstop()を使うなといわれても困ります。どうしたものでしょうか。

1998年12月11日

ソフトウェア科学会のMACC'99(富山)のパネリストに呼ばれる。マルチエージェント屋さん向けデモとして、KQMLベースのエージェント間協調プロトコルを学生さん(吉野さん)に作ってもらいました。また、チャットエージェントの新版を学生さん(棚橋さん)に作ってもらう。ついでにデモプログラムを幾つか追加。それにしてもMACCは哲学の学会だった。エージェント研究者とは思われたくないと心を新たにする。

1998年12月19日

現開発環境PentiumII(450MHz)の遅さに閉口して(MobileSpacesはシステムが大きい)、PentiumII-XEON(450MHz)の2CPUマシン(Gateway2000社)に移行。しかし、ハードディスクの初期不良のため延期(初期不良にはちゃんと対応してください。Gateway2000様)。別のハードディスクで作業を開始したところ、コンパイル速度は大きく向上しないものの体感速度は上がった。ただし、WindowsNT4.0ServerのスレッドはXEON-2CPUをいかしきれていない。タイムスライスは20msだそうですが、OS/2のようにユーザがタイムスライス時間を調整できるといいのに。

1999年1月18日

ソフトウェア科学会のチュートリアル「モーバイルエージェント」が終わった。担当講演時間は2時間だったが、デモンストレーションに手間取りすぎました。受講された方はどのような感想を持たれたのでしょうか。

1999年2月

MobileSpacesの最初のプロトタイプをIPAに納品。 ソースコードが1万行を越えてしまった。まぁIPAのことは忘れよう。

1999年7月X日

北陸先端科学技術大学院大学に出張講義&デモンストレーション

1999年8月X日

某社でチュートリアル&デモンストレーション

1999年9月25日

山下記念賞をもらいに情報処理学会の全国大会(岩手)にでかける。 対象の論文はモバイルエージェント関連の最初の論文でした。 ただし、テクニカルセッションが始まる前に逃亡、そのまま東京に戻る。 だって、情処の全国大会ですからね。テクニカルセッションを聞くには それ相応の忍耐力がいるでしょうから。

1999年10月1日

科学技術振興事業団さきがけ研究21「情報と知」領域の研究員になる。 のちのちの苦労の原因となる。

1999年10月中旬

午前中、IEEE SMC'99(東京国際フォーラム)で AgentSpace関連のアプリケーションに関する発表。 その日の午後に日本学術振興会未来開拓事業の関連で京都で発表。 体がもちません。

1999年11月X日

東京理科大学で講演&デモンストレーション

1999年11月X日

東京工業大学で講演&デモンストレーション

1999年11月X日

ソフトウェア科学会のワークショップFOSE'99(登別)のパネリストに呼ばれる。 一部のパネリストと、パネル直前にワークショップを抜けて熊牧場に遊びに行く。 熊は餌を貰う前にたったり、手を叩いたりすることを発見。やはり、 自分を主張することとプレゼンテーションは大切であることを痛感する。

1999年12月9日

前回のソフトウェア科学会のチュートリアル「モーバイルエージェント」は川崎 でしたが、今度は大阪で開かれました。午前中が当方で行い、 午後がIBMの長尾さんが担当されました。ソフトウェア科学会企画委員の特権で 受講者アンケートを見ましたが、おおかたの方が満足していただけたようなので一安心。

1999年12月X日

タッチパネル付きノートPCを購入してモバイルエージェント向けの ユーザインターフェースの研究・実装を開始。

2000年2月

開発環境をDELL Insprion 5000 (PentiumIII 650MHz+128MB)のノートPCに移行。 SXGA+(1440x1050)の液晶は広くて開発効率が上がる。 Windows98からWindows2000への変更に手間取るが、Windows2000は快適。 よく落ちるけど。

2000年3月9日

日本学術振興会未来開拓事業のシンポジウムで講演とデモ

2000年3月X日

ソフトウェア科学会のワークショップSPA(熱川)で発表。

2000年4月11日

IEEE International Conference on Distributed Computing Systems (ICDCS'2000、台湾) で発表。セッションチェアの好意でセッション時間を延長してデモさせて いただいた。

2000年5月末

MobileSpaces新版の開発を開始。ただしくは、開発中だったMobileSpacesは、 開発中断があまりにも長かったために、何をしたかったのかをすっかり忘れて しまったので、思い出すより簡単とコア部分を新規に書き直し始める。

2000年6月11日

International Symposium on Software Engineering for Parallel and Distributed Systems (PDSE'2000, Limerick, Ireland)でMobileSpacesのプロセス代数ベースの理論に関して発表。 そのあとECOOP'2000 (Canne, France) に移動

2000年6月末

アイルランドとフランスの出張から帰還したとおもったら、 情報処理学会のシンポジウムで金沢に出張。 エージェントのセッションチェアの任。 DPSという情報処理学会の研究会の運営委員だったのですが、 情報処理学会の事務の方に、研究会の会費は学会の会費とは別であるという事実を聞き驚く。事務の方には非常識だと説教される。

2000年7月中旬

某私立大学情報工学科の非常勤講義「計算理論」の最終講で、 嗜好を変えて「モバイルエージェント」の講義とデモをする。 方々の大学で講義をしていますが、 ことのほかレスポンスが悪い。 もちろん、こちらの講義が悪いのでしょうが、 学生のマナーも・・・。 当方が学生の頃と比べると隔絶の感があります。 さらに担当事務局の課長さんは非常講師を馬鹿にしているのか、見下した態度をとるし。いろいろ恩義があるからやっているけど、 来年は非常勤講師を引き受けたくない。

2000年8月16-23日

AT&T Cambridge Laboratory/Cambridge Univesity訪問。発表及びデモを行う。 MobileSpacesの新版の初レビューとなる。もっともロンドンに到着する寸前まで 実装をしていたのだが。

2000年8月28日

久しぶりにAgentSpaceに手を入れた。変更箇所はJAR形式の導入、シェルによる コマンドライン操作環境の実現などなど。パッケージ構成も大幅に変更。 AgentSpaceを作り始めた頃はパッケージという概念も知らなかったから・・

2000年8月29日

2000年8月29日版を公開。 ただし、JDK1.2との不具合をしてきされていったん公開を中断。 JDK1.1とJDK1.2ではJARアーカイブのMANIFEST.MFファイルの フォーマットが違うとは知りませんでした。勝手に変えるなよな。

2000年8月30日

情報処理学会のオブジェクト指向2000シンポジウムでチュートリアル 「モーバイルエージェント入門」を行う。レスポンスの少ないオーディエンスに戸惑う。 あとで聞くとまぁまぁ評判は良かったみたいなのですが、ちょっと気持ち悪い。

2000年9月6日

8月29日版ですがエージェント転送にバグあるという情報を頂きました。まだ、再現も出来ていないですが、対応は出張あけの20日以降になります。お許しください。それから、8月29日版はJDK1.1上で実行してください。

2000年9月8日

8月29日版のエージェント転送のバグの件ですが、JDK1.1に戻すとうまく動いたそうです。やはりJDK1.2以降にも対応できるように変更したいのですが、出張(チューリッヒ)空けになりそうです。

2000年9月13日

ASA/MA'2000というエージェント(特にモバイルエージェント)の国際会議で発表するためにチューリッヒにおりますが、会議冒頭の招待講演者が、モバイルエージェントの言語や実行システム、セキュリティの研究はさっさと止めて、応用(特にe-business)を考えろという話をきいて妙に納得してしまう。これはちょっと過激な意見だけど、研究としてのモバイルエージェントのトレンドがシステムから応用にシフトしているのは事実でしょう。

2000年9月18-19日

Swissairのフライトでチューリッヒから帰国。チェックインをする際に通路側の席がほしいと懇願したら、よほど疲れていたらしく、同情されてビジネス席にしてくれました。本当は帰りの機内で幾つかのコーティングをするつもりでノートPC(VAIO N505)に拡張バッテリを2本という6時間は仕事が出来るという体制で望んだにもかかわらず、ビジネス席の特権でDVD Playerを借りて映画を見て過ごしてしまいました。よってノートPCは例のJDK1.2問題のフィックス作業しただけで殆ど使ずじまい。 仕事のためにはエコノミーに限ります。

2000年9月19日

すごく疲れました。もう海外旅行は当分いいという心境なのですが、来月はミネアポリス(Pervasive Computing Workshop)に行かないといけないし、年末にはオーストラリアの国際会議もある。年明けには1,2回はいかないといけない雰囲気。さてどうしましょう。

2000年9月25日

一部の方々にお約束したとおり、AgentSpace 1のJDK1.2及び1.3対応版(バグフィックス版)を公開します。原因はクラスローダ部分だったのですが、サンのドキュメントをみてもJDK1.1からの変更点がわかりません。ひとまず回避しましたがちょっと気持ち悪い。

2000年10月2日

なぜか発起人になっているビデオストリーミング技術のコンソーシアムの関連で、第4世代携帯電話(G4)の勉強会に出席。第3世代、つまりIMT2000もまだ開始されていないというのに世の中は動いている。ぼやぼやしていると時代に取り残されそう。

2000年10月3日

エージェントのフォーマットをjarファイル形式に変更後、エージェントにリソースファイルが取り込めないという問題がありましたが、リソースの読み込みなどのAPIをAgentContextに追加したバージョンを10月3日版として公開します。

2000年10月4日

10月3日版について。3日という日付になっていますが、本当は4日朝の電車の中で8割がたの実装とドキュメント作成をしました。ただ、いささか早急な実装したために他のバージョンと永続化オブジェクトの互換性がなくなってしまいました。独自フォーマットの時はバイナリレベルの互換性を維持していましたが、JAR形式になってからはうまくいっていません。1980年代の永続化データベースの研究でいわれていた問題なので、独自フォーマットのときはタグを駆使して逃げていたのですが、今回は見事にはまりました。なお、エージェントはソース及びバイナリのクラスファイルに関しては上位互換性があります。

2000年10月5日

10月3日版ですがやはりバグがありました(御指摘いただいた方がありがとうございます)。すみません。エージェント移動で1ホップはできるのですが2ホップ以降が出来ませんでした。直したものを10月5日版として公開します。

2000年10月13日

明日からアメリカ出張なのですが、だれか当方のモバイルエージェントをしてくれませんか。このところ毎月海外出張をしている。暇がないというのに。そうそう、待望のBluetooth PCカードがやっと納品されました。ひとまず4枚確保したので、これでいろいろ実験ができます。ただし、本格稼働は帰国後。

2000年10月14日

ANAでシカゴに向かったのですが、全席シートテレビなので映画を見続けていました。帰りも同じ映画なので行きに見ておけば帰りの飛行機はコーティングに専念できるはず。本当かね?

2000年10月16日

数年ぶりのアメリカ。昨日はモバイルエージェント関連のワークショップの発表。今日はIBM御推奨のPervasive Computing関連のワークショップ。前者の発表も準備不足で結構失態(反省)。後者は無難にこなしたのですが、WAP関連が多く、どこがPervasive Computingなのかがよくわからない。そのうえ、Mobile Commerceの話が古い。別に某携帯電話会社に恩義はありませんが、国内の方が1年は進んでいる。それにしても参加者の3分の2がIBM Researchの関係者とはね。ただし、IBM System Journal Vol.38, No.4 1999のPervasive Computingの特集号は必読です。

2000年10月17日

話題のJava Web Startへの対応を検討する。いまさらこうした提案されてもね。しばらくは様子見です。

2000年10月19日

10月2日分に書いたポストIMT2000関連の勉強会ですが、飛行機(ANA)で借りた週間アスキーにある某氏の連載日記にも取り上げられていました。すごく内輪の勉強会で参加者も10人もいなかったはずだから結構不思議な感覚。

2000年10月20日

だいぶ以前にお問い合わせを頂いていたPersonal Javaでの動作可能性ですが、Personal Java 3.1でAgentSpace(10月5日版)が動作することを確認。AWT回りが問題が出る可能性があるのですが、GUIは止められるので、たとえminimal AWTで問題があっても大丈夫だと思います。どのなたかSH3で動作を確認していただけないでしょうか。もちろん、ボードを貸していただければもっとうれしいのですが。

2000年11月2日

研究員をさせていただいている科学技術振興事業団のさきがけ研究21領域会議の発表で、MobileSpacesシステムのデモを行う。新しくなってからは国内でするのは実はこれがはじめて。その際に電車の中でコーティングしていると話したら、研究所勤めの方にはその意味が理解してもらえませんでした。研究所の方々は時間があるのですね。うらやましい。それにしても、同じ内容なのに海外と違って、国内のアカデミアの方にはデモは受けません。

2000年11月15日

当方に関わる案件がかかるので教授会にでる(このところ出席率が高い)。大学の事務方は硬直しきっているけど、教官の方も縄張り争いにご執心。それにしても大学という組織は反対者が一人でもいると先に進めない。だれか、大学教授会の意志決定プロエスをエージェントでシミュレーションしてみませんか。

2000年11月24日

ROBODEX2000というイベントにいってみる。開幕時についたから難なく入ることができましたが、人当たり見て出る頃には1時間待ちになっていました。それにしてもホンダのASIMOは人間が入っているとしか思えないし、ソニーのSDR-3Xは配線がほとんどみえないぐらい完成度は高い。いまさらロボット研究者になろうとは思わないけど、同じモバイルでも物理的に動くものにはあこがれる。相変わらず、うちのAIBO君はよちよち歩きのままだけど。

2000年11月27日

訳があってWebブラウザからエージェントの操作(移動や停止など)ができるようにAgentSpaceを拡張しました。近日中に公開する予定です。操作側はWebブラウザがあればよく、JavaVMは特に必要としません。これで原理的にはi-modeを含むインターネット端末からもモバイルエージェントを自由に操作できるようになります。ご期待ください。

2000年11月28日

事務仕事ばかりしているとだんだんバカになっていく。特に助教授になってからは相当バカになった気がする。集中して考える時間がほしい。

2000年11月29日

推薦入試の面接で早朝から夜まで完全拘束。結局、研究は電車の中と深夜しかできない。そういえば現代計算機の元祖であるフォンノイマンは列車の中で論文を書いていたそうです。また、フォンノイマン型計算機の基本概念は大陸間横断鉄道のなかで思索したとか。

2000年12月3日

本当に思いつきなのですが、AgentSpaceをjarファイルから起動できるようにアーカイブを作ってみました。折角なので12月3日版として公開することにします(予定)。

2000年12月13日

MAMA'2000というモバイルエージェントとマルチエージェントの国際会議で発表。場所がオーストラリア、それもビーチ近くということで日焼けしてしまいました。今年はカンヌ・モナコでも日焼けしてしまい遊んでいると思われたからまずい。少しはビーチにいましたけど、基本的には仕事です。それにしても会議はつまらなかった。

2000年12月15日

飛行機の関係でシドニーで一泊。シドニーといえばオペラハウスということで、オペラを見たかったのですが、バレエしかやっていなかったので、バレエを鑑賞。なんとS席で5000円弱。安い。安す過ぎる。国内だったら2万円以上。ちなみにシドニーオペラハウスのオペラはS席が9000円です。 モバイルエージェントは関係ない話題ですね。

2000年12月20日

久しぶりにApple ComputerのKnowledge Navigatorのデモビデオを見ました。いわゆる疑似人間型エージェントとの対話によるユーザアシストシステムなのですが、ここ2,3年で拝見した複数国内メーカの将来ビジョンのビデオとそっくり。各メーカさんはもっと先をいくようなビジョンを出してもらいたいです。

2000年12月25日

モバイルエージェント間連特許で書類書き。ちょっと成立は厳しそう。

2000年12月26日

都内某所の特許事務所で密談。その後、やはり都内某所で某携帯電話メーカの503iを拝見。これでは何もできない。当方が事前に書いておいたプログラムは何故かエラーで止まってしまう。

2000年12月29日

公式には28日に御用納めなので休みなのですが、仕事が一杯残っているので忙殺されそうです。それから、割り込みがかかると面倒なので電話線を引き抜きました。このため当面、電話は通じません。モバイルエージェントの方も時間があればコーティングしてみたいのですが、時間的に厳しそう。アイデアは沢山あるので、卒論や修論でネタ探しに困っている方は御相談ください。いくらでも提供します。

2000年12月31日

開催意味そのものが問われているインパクが始まりました。某省の関係で企画段階でほんの少しだけ相談を持ちかけられたことがあります。もちろん、絶対止めろとコメントしたのですが。各ユーザに特化したホームページを提供できるという時代に、広く一般という間口の広さでは利用者の趣味嗜好にあったコンテンツを提供できるはずもない。また、出展各社のコンテンツクリエータならびにマーケット担当者としても利用者ターゲットがみえなければデザインのしようがない。まぁネット後進国の現状を垣間見せる点では大成功といえましょう。

2001年1月1日

どうも21世紀になったらしいですが、だからどうしたのという感じ。よく学会発表とか講演で「21世紀に向けて・・」という出だして話を始める人たちはこれからは何というのでしょうか。それだけが楽しみ。

2001年1月2日

以前、Y2K問題というのがありましたが、その後どうなったのでしょうか。遠い昔に思えます。

2001年1月20日

今日と明日はセンター試験の監督で早朝から完全拘束。面倒くさい。

2001年2月22日

インターネットの国際会議(International Workshop on Next Generation Internet and its Applications, IWS'2001)でモバイルエージェントのチュートリアル。なんかデモでごまかしたという感じ。 やはり英語発表は難しい。

2001年2月23日

国際会議発表(International Symposium on Agent Oriented Computing and its Applications)。一応招待講演らしい。さすがに2日間続けての英語講演はつらい。体がボロボロ。ろくに準備をしなかったという噂もありますが。

2001年2月25日

国立大学は前期日程試験。試験監督でまたまた拘束。弁当が出たのですが、ともかくまずい。贅沢を言うつもりはないのですが、試験監督の時の唯一の楽しみがお弁当なのでまずいとやる気がなくなります。まぁ最初からないのではと聞かれるとこまりますけど。後で聞いたら、入札で業者を選んでいるらしいけど、あれはあんまりです。

2001年2月27日

AgentSpaceを久しぶりに手を入れているのですが、たくさんバグを見つけてしまいした。というわけで古いAgentSpace、つまりエージェントフォーマットが独自形式(拡張子が.agent)をデフォルトにして、jar形式版は暫定版に格下げをします。それにしても困った。

2001年3月2日

週明けの公開を目指して、高階版モバイルエージェント(MobileSpacs)の新版を公開準備中です。本当は去年の8月にできていたのですが、そのあとさぼっていました。実は配布中のものはIPAとの絡みがあり、コードの管理が面倒になったので、現在配布中のMobileSpacesとは完全に別に開発したものです。従って、コードもすべての新規作成です。

2001年3月2日

iアプリ対応携帯電話(N503i)を購入。発売日より早いような気がしますが、まぁ気にしない。でもi-modeは正式発売日以降までお預けになってしまったので、折角用意したiアプリは使えない。それにしてもJava MIDPに合わせてくれれば苦労がないのにどうして囲い込みをしたがるのでしょうか。仕方ないので、標準で入っているコナミのiアプリ版DDRをするしかない。ゲームセンターのものと違ってタイミングがよくわからない。

2001年3月3日

ひとまず高階版モバイルエージェント(MobileSpacs)の新版を公開しました。国内では11月にあったさきがけ研究21の領域会議ぐらいでしかみせたことないシステムですが、8月以降の海外発表ではこの新版MobileSpacesを使っています。まだ、エージェント転送に不具合があるのですが、動くといえば動きます。エージェントは階層化されますし、エージェントの移動プロトコルも動的に変更できます。また、エージェント操作はドラッグアンドドロップに対応しているので、AgentSpaceと比べると操作が向上しています。

2001年3月6日

光ネットワークの勉強会に参加させてもらう。光スイッチの発展に驚く。というか革新です。実験レベルでは一本で26Tbps、つまり10Gbps x 260万回線が出せるそうです。これは世界の通信量の1000倍程度になる。こうなると、本当にネットワークはガラ空きになるかも。そうすると帯域を如何に効率的に使うかということに焦点を当てた既存ネットワーク研究の価値は減るだろうし、ストアアンドフォワードをベースにしたIPネットワークは不向きになる。どうせ帯域を使い果たすアプリケーションが出てくるだろうけど、何にしても光スイッチで接合されたメッシュ型ネットワークが将来の基幹ネットワークの姿なのかもしれません。2,3年前に分割される前の某電話会社からFTTHのアプリケーションについて役員相手に講演などをしていたことがあったのですが、そのときの提案した幾つかのアプリケーションが現実化しそう。

2001年3月7日

日本学術振興会の未来開拓学術推進事業関連のシンポジウムでモバイルエージェントについて短い講演。お偉い先生の前での講演はやりにくい。

2001年3月8日

昨日に続いて未来開拓学術推進事業関連のシンポジウムの関連でAgentSpaceデモンストレーション。

2001年3月14日

情報処理学会全国大会の座長。セッションは「ネットワークプロトコル」の担当だったのですが、担当したところは半分以上まともだったのですが、ついでに覗いた別のセッションは何というか、もうコメントもできないというのが多いです。いくら全国大会とはいえ、こんなレベルの学会をしていたら情報産業の先が思いやられます。

2001年3月22、23日

ソフトウェア科学会のワークショップ、SPA'2001とPPL'2001の座長。前者はモバイルエージェント、後者はJava関連。どちらもPCなので関係者なので、仕方ないです。

2001年4月2日

国立情報学研究所 ソフトウェア研究系 プログラミング言語部門 助教授に異動することになりました。半年はお茶の水女子大学理学部情報科学科助教授の併任となります。7月ぐらいまではこのページも維持したいですが、順次情報学研究所の方にエージェントではありませんが移動することになります。正直言って、ここ2,3年はほとんど研究する時間がありませんでしたが、多少は改善されるようです。

2001年4月6日

島津製作所からHMD(ヘッドマウントディスプレー)が到着。結構、小型でこれなら付けていてもいいかなという気がします。専門とは違いますが、Wearableな生活をしてみようと思っています。

2001年4月14日

8月にある名古屋である国際会議に投稿。締め切りから2週間以上すぎているのですが、論文査読と引き替えに出してしまいました。締め切り前に論文を投稿できたことは皆無ですが、今回は前日の13日にPCチェアにたまたまあって、急遽モバイルエージェントネタの論文を1日で書いて投稿という最低の状態。明日からは学会発表でアメリカに行くというのに。

2001年4月15日

アリゾナに行くためANAでロスに向かう。また、座席にはシートテレビがある。ついつい見てしまって、仕事がはかどらない。せっかく、PC用バッテリをもう一本用意していったのに使わずじまい。

2001年4月16日

はるばるアリゾナにいって国際会議(IEEE Int. Conf. Distributed Computing Systems)に出かける。いつものようにつたない英語力&プレゼンテーション能力の欠如をデモでごまかす。それにしても、分散システムが当たり前の時代に分散システムの国際会議に存在意義はあるのだろうか。ただ、来年はウィーンだそうなので、また投稿するしかありません。でもネタがね。

2001年4月19日

海外のモバイルエージェントの著名研究者5,6名と密談。それで至った結論は、結局みんなモバイルエージェントの研究から足を洗おうとしていることが判明。また、次の分野が2分されたとは似たようなものばかり。また、顔を合わせるのでしょうか。

2001年4月20日

ロスまわりでアリゾナから帰国。ANA便だったのですが、行きにシートテレビをほぼ見きっていたので論文執筆と講義準備がはかどりました。アリゾナではX10モジュールの買い出しをしたのですが、機内では早速X10プロトコル仕様を読んで制御プログラムを書いてみました。さすがに機内では試しようもないし、制御信号で飛行機に影響を与えて太平洋に落ちたくないので試すわけにもいきません。

2001年4月25日

帰国した直後は時差ボケではなかったのに,今頃になって眠くなる.勤務先内で1時間半ほど講演したのですが,話している最中に何度か眠ってしまいそうに.

2001年4月26日

慶応大学で講義.4年目なのですが,オートマトンとかチューリングマシンとか計算理論の話ばかり.昔は専門としていたけど,講義をする側はちょっと飽きがきている.基礎は基礎.この辺が身に付いていないと結局伸びないんですよね.ただ,学生側はわかっていない.

2001年5月1日

ゴールデンウィークはCoderと化すことを誓ったのですが,やっていたことは研究助成申請書だけ.こうやって政治屋になっていくのでしょうか.

2001年5月3日

Arthur C Clarke原作/Stanley Kubrick監督の映画「2001年宇宙の旅」の上映がったので観てまいりました。これを観ずして2001年をおくることはできません。製作から33年が経っていますが、今観ても完成度が高い。というか当時はかえって評価されなかったのではないでしょうか。まだ人類が月にも行っていない頃だから、科学的裏付けの周到さがわからないのでは。ところで、以外だったのは映画全体に漂っている雰囲気。実はビデオやTVでは何度も観ていたけど、そのときはSF映画の一つしか感じなかったのですが、映画館で観るとKubrickらしいというか、彼独特の緊張感がこの映画にも充満している。それにしてもHALが作れるようになるのはいつの日でしょうか。


Ichiro Satoh (E-mail: ichiro@is.ocha.ac.jp)

Ichiro Satoh (Ph.D.)
Associate Professor
National Institute of Informatics /
Japan Science and Technology Corporation
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