CPSとは

車載ソフトウェアに代表される組込みシステムでは、従来、各システムの特徴にチューニングした個別技術による1点突破型の開発方法論が採用されてきた。高信頼な組込みシステムに対する関心の高まりによって、個別技術を超えた統一的かつ体系的な技術の確立が求められている。欧米では、組込みシステムが新しい市場を開拓し雇用を創出する鍵となるという認識のもと、戦略的な研究開発体制を確立した。歴史的な発展の経緯から、欧州ではESD (Embedded Systems Design)、北米ではCPS (Cyber-Physical Systems)と呼ぶが、取り扱う技術の内容は共通している。ソフトウェア工学の観点からながめると、関心が生産性向上から信頼性向上へと変化している。

CPS周辺:欧州の動き

欧州では、1998–2002年に実施されたFP5の研究支援のもと、NoE (Network of Execelence)のプロジェクトARTIST発足した。ESD研究開発の中心に位置し、研究ロードマップの整備、研究課題の提示による公募、教育ならびに産業界への技術移管まで、幅広い活動を行っている。その後、FP6のARTIST2、FP7のArtistDesignに引き継がれ、現在でも、欧州のESD研究開発のコントロールタワーの役割を果たしている。特に、2005年に公刊されたロードマップ[1]は高信頼組込みシステム設計に関する良質のサーベイ論文集になっている。

欧州のESDについては2つの特徴を指摘することができる。第1に、産学連携を強化し、市場指向を明確に打ち出したことである。具体的には、新しい研究支援の枠組みJTI (Joint Technology Initiative)をつくり、ARTEMISを発足させた。ARTEMISは参画する民間企業とのマッチング・ファンド形式をとり、産業界への実用化研究を主たる目的とする。一方、FP7-ICTのESDは基礎的な学術研究を含み、研究テーマの採択に際して、ARTEMISとのすみ分けを明確に意識している。第2に、ARTIST研究者と北米研究者の協調・共同である。

CPSの基本的な考え方

CPSという言葉は、2006年頃にNSFのH. Gill博士がサイバネティックスからヒントを得て案出した造語である。サイバネティックスは1948年N. Wiener博士が、フィードバック制御を基本概念とする数学理論に対して命名したもので、その後、制御工学の基礎となった。一般に組込みシステムでは、制御対象は物理的な世界の機械等であり、制御工学の理論に基づいて設計されることがある。制御工学、システム工学と計算機科学やソフトウェア科学にまたがる知識が必要となる。CPSはサイバネティックスに対する情報科学的な解決アプローチといえる。

CPSの特徴

図1: CPSの特徴

CPSはアメリカの研究戦略上、重要なキーワードになっている。実際、2007年に公表されたPCASTの答申書[2]の第4章において、CPSの重要性が指摘されている。技術的な観点からの補足レポート[3]もある。2008年にJ.Wingが示したCPSフラワーが、CPSの狙いをうまく要約している。これに続く2009年に、産学連携に関するホワイトペーパ[4]が公表された。

CPSフラワー

図2: CPSフラワー

CPSの特徴を2つに整理することができる。第1に、J. WingのCPSフラワーによると、チャレンジとして、(1)大容量・不確実な入力データ、(2)離散と連続、(3)大規模・複雑化した制御システム、の高信頼化技術の確立があげられている。この基礎技術は、北米の技術力を世界最高水準に保つことを目的とし、多種多様な応用セクターの共通技術となる。ここでは、自動車、医療、航空、鉄道、など、ARTEMISと同様な産業応用セクターが想定されている。研究公募に際しての興味深い点は、「応募者がCPSを定義」と言っていることである。CPSという傘テーマを提示し、その中身を埋めていくことを、研究活動の一部に含めている。きわめて、パラダイム的な手法である。基盤技術と応用技術の両輪で進める。

2つめの特徴は、2009年のホワイトペーパが論じた産学連携の仕組みである。このレポートは、ARTEMISを強く意識している。JTIをなぞるかのように、より強固な産学連携をうたい、基礎研究と製品化研究を両輪で進めることの重要性を論じている。(同レポートには、「Japan」という単語は一度も出現しない。1980年代知識情報処理・ICOT、1990年代、半導体・スパコン摩擦、の時代に、北米の論調が対日を意識していたことと比べると、日本の影が薄いことがわかる。)

以上をまとめると、CPSは2つの意味での同時進行を強調していることがわかる。すなわち、新しい課題とその解決技術に関して基盤技術と応用技術を同時進行させること、産学連携を推進するという観点から基礎研究と製品研究を同時進行させること、である。欧州のESDやARTEMIS、ならびに北米のCPSに共通することは、産学の新しい連携によって市場を創出するという点にある。

なお、欧米では研究者の交流が活発である。具体的には、2005年から、NSFのTRUST (Team for Research in Ubiquitous Secure Technology)とEUのISTが支援するワークショップが実施されている。さらに、研究者レベルでの相互交流は非常に活発に行われていることは言うまでもない。

CPS関連活動

主要研究大学での関連活動を紹介する。ひとつは、CMUのCMACS(Computational Modeling and Analysis for Complex Systems)である。E. Clarke教授が中心となって、2008年にNSFのCISEという枠組みに対して提案された。2009年秋から5年の予定ではじまった総額10Mドル(約8億円)のプロジェクトである。CPSと明記していないが、CPSフラワーで論じている技術と良く重なる。研究としてのキーワードは、抽象解釈とロジック・モデル検査の融合である。教育についても注力し、CPS領域に関する標準的な教育カリキュラムComplex Systems Science & Engineering(CSSE)を整備することが活動目標のひとつとしてあげられている。

ふたつめは、歴史的には長いプロジェクトで、Pre-CPSといっても良い。UCバークレイのCHESS (Center for Hybrid and Embedded Software Systems)である。A.L. Sangiovanni-Vincentelli教授を中心して多くの研究者を輩出した。現在も、主要プロジェクトであるPtolemyが、モデル駆動開発の観点から、CPSソフトウェア分野を牽引している。PtolemyのリーダE.A. Lee教授は2010年に学部生向け教科書[5]を公刊した。自身の講義ノートに基づく。構成が非常に興味深い。学部生向けであることから、入門的な技術紹介であるが、これ以前の教科書によって同様な講義を行おうとすると数冊の書籍が必要となった。CPSという視点から最低限必要なトピックスを網羅するという面で興味深い教科書である。


[1]
B. Bouyssounouse and J. Sifakis (eds.) : Embedded Systems Design, LNCS 3436, Springer, 2005.
[2]
President's Council of Advisors on Science and Technology : Leadership Under Challenge: Information Technology R&D in a Competitive World. August 2007.
[3]
Cyber-Physical Systems Executive Summary, Prepared by the CPS Steering Group March 6, 2008
[4]
Industry – Academy Collaboration in Cyber Physical Systems (CPS) Research White Paper V.1: August 31, 2009
[5]
E.A. Lee and S.A. Seshia : Introduction to Embedded Systems – A Cyber-Physical Systems Approach, http://LeeSeshia.org, 2010.