CPSという領域

ドイツagendaCPSの報告内容を踏まえて、CPSという領域の概要を再考する。

規範としてのCPS

CPSという言葉は、2006年頃、NSFのH. Gill博士による造語で、サイバネティックスからヒントを得た。サイバネティックスはフィードバック制御の考え方に基づく理論である。物理的な実体(機械、等)を制御するシステム構築の基礎的な方法となった。CPSは、このような制御システムへの情報科学的なアプローチを指す。ここでは、制御システムを、実世界と関連がつく情報処理を行う人工的なシステムと抽象的にとらえている。このような制御システム(単機能システムと考えればよい)がある時、複数を組み合わせることで新しいサービスを導く可能性がある。多数の制御システムをネットワーク化し、全体を制御する必要がある。

CPSの規範

図1: CPSの規範

図1は、CPSが、このようなシステム概念の規範であることを示している。特に、挑戦課題として、「大容量、不確実なデータの取り扱い」、「離散と連続の取り扱い」、「システムの大規模化、複雑化への対応」という3点をあげた。この中で2番目の観点は、ハイブリッド性の取り扱いである。車載組込みソフトウェアや医療機器(心臓ペースメーカ)など高い信頼性を要する応用システム実現に直結する課題であり、CPSの分野で中心的な位置を占めている。

研究領域としてのCPS

ドイツでは、北米CPS研究の流れや、欧州域の研究開発支援の枠組みであるITEA2ARTEMISとの関係を踏まえて、国内産業の競争力強化を柱として、CPS領域に関する調査研究agendaCPSを行った。これは、2010年5月から18ヶ月間実施された。2010年10月に作成された中間結果[1]、プロジェクトのリーダであるM. Broy教授(ミュンヘン工科大学)による発表資料[2]、2011年12月のレポート[3]から、agendaCPSの調査内容を知ることができる。

CPSの具体的な研究分野の良い整理になっているので、ここに紹介する。図2にCPSがカバーするシステムのイメージを示した。北米CPSの図1と比べると、ネットワーク化した組込みシステムとインターネット中心のコンピューティングの世界をつなぐことで新しいサービスを提供することを目指すことを強く意識している。さらに、サービス利用者を明示的に考えている。ヒューマンマシン・インタフェース(HMI)だけではなく、予め予測が難しい利用者の振る舞いが関わるというオープン性を持つことを示唆している。

CPSの領域

図2: CPSの領域

図2の特徴は組込みシステムを出発とすることにある。欧州の研究開発支援の枠組みEU FP-ICTで、組込みシステムはESD(Embedded Systems Design)に関わる研究テーマとして、FP5の頃から重点的に研究投資が進められてきた。EU全体としては、FP5のARTISTにはじまるNoEが中心となって ARTEMISという枠組みを構築した。ドイツ国内では、NRES(National Roadmap Embedded Systems)を2009年12月にまとめた[4]。今回のagendaCPSはNRESをベースとして組込みシステムの将来像を描き、その技術領域としてCPSを考えるものである。近年話題となっているキーワード SoS(Systems of Systems)やIOT(Internet Of Things, Data, and Services)に組込みシステムを位置づける試みともいえる。なお、NRESならびにagendaCPSは、いずれも産学連携の調査活動であり、さらに、M. Broy教授をはじめとする学側の中心はARTIST(現在はArtistDesign)の主要メンバでもある。

図3は文献[3]掲載の進化発展を示す図である。ネットワーク化した組込みシステム(Networked Embedded Systems)は個々の組込みシステムを統合したSoSである。これをインターネットベースのWWWやクラウド・コンピューティングと統合する技術としてCPSを位置付ける。CPSによってIOTによる新しいビジョンを実現できるとする。

組込みシステムの進化発展

図3: 組込みシステムの進化発展

CPSの見方が本質的に重要な応用セクターとして、移動性(特に、自動車)・医療健康(遠隔診断、等)・エネルギー(スマートグリッド)・製造オートメーション化、をあげている。これらに共通するCPSの中核は多種多様なシステムを統合する技術(SoS)である。構成要素のシステムが多岐にわたるということと同時に、それらの設計原理が多様であるという点がCPSの特徴である。機械系、電子系、ソフトウェア、ネットワーク、など、従来、個別に発展してきた技術分野が関わる。その結果、学際的になることは避けられない。このあたりは北米CPSでも指摘されていたが、ドイツのagendaCPSでは一歩踏み込んで、CPSのためのモデリングが根底の技術として存在すると論じている。

なお、レポートでは、ARTEMISや北米CPSのレポートと同様に、社会的な影響にも言及している。特に、応用セクター例の最初に来ることからもわかるように自動車産業を重視している。ドイツは車載電子化(ソフトウェア)技術のコンソーシアムAUTOSARを牽引するなど産学連携の体制によって自動車産業が必要とする技術開発に積極的に取り組んできた[5]。また、システム化は産業構造にも影響を与えるとみる。たとえば、スマートシティを考えればわかるように、異なる業種の企業が集まることではじめて実現できるシステムである。文献[5]は、欧州の研究施策と社会的な影響の関連についても説明しているので、参照して頂きたい。

CPS構築のソフトウェア工学

CPS構築は、多様な工学原理にしたがって開発された異種システムを統合する技術といえる。さらに、構成要素を完全に把握できないという意味でのオープン性が付け加わる。従来の組込みシステムは、特定の制御対象を持つという点で閉じたシステムであり、実時間の反応性・機能安全・高い信頼性が求められていた。これに加えて、オープン性に対処する自己適応性が必要となる。また、社会基盤となることから、セキュリティならびに安全さ(Security and Safety)が一層重要となる。

資料[2]では、CPSのためのモデリング技法を論じている。ここで、モデリングとは、考察対象の抽象的な描像を得ることであるという素朴な意味を持つのであるが、次のような点に注目した新しい形式的な記述の体系に言及している。

  1. ハイブリッド(離散と連続)性から来る定量的な見方
  2. 抽象化と階層化
  3. 開発工程を通して利用できるシームレスさ
  4. 形式性による厳密さと自動化

同時に、現在、ソフトウェア工学の分野で研究が進められている技術を取り込むとしている。たとえば、モデルベース開発、開発管理リポジトリ、プロダクトラインなどがある。具体的なドイツ国内の産学研究プロジェクトとしてSPES2020が、2008年11月から2年間フランホッファー研究所FIRSTで実施された。

さて、agendaCPSでは、ネットワーク化した組込みシステムとインターネット中心のコンピューティングの世界をつなぐ領域としてCPSを見ていることを述べた。これは欧州の研究支援の枠組みであるEU FP7-ICTからみると、「学際的」になっている。前者のネットワーク化組込みシステムは、ESDというチャレンジ領域で取り扱う一方、後者のネットワークコンピューティングはIoSS(Internet of Services and Software)である。CPSは従来のチャレンジ領域の垣根を取り払うものと云える。欧州では、FP7が実質的に2013年に終わることから、新しいフレームワークプログラムを企画中である。CPSという未知の領域に対して、ドイツのagendaCPSが学際性を強調する良いタイミングであるように感じる。


[1]
M. Broy, E.H. Kagermann, and R. Achatz(eds.) : Agenda Cyber Physical Systems – outline of a new research domain (intermediary results), DEC 2010, ACATECH.
[2]
M. Broy : Complex Systems Modeling and Engineering and CPS research, CPS PI Conference, August 2011.
[3]
acatech (ed.) : Cyber-Physical Systems – Driving force for innovation in mobility, health, energy and production, December 2011.
[4]
SafeTRANS : National Roadmap Embedded Systems, March 2010.
[5]
徳田昭雄, 立本博文, 小川紘一 (編著) : オープン・イノベーション・システム -欧州における自動車組込みシステムの開発と標準化-, 晃洋書房 2011.