他人の信念を的確に理解評価する

 人の信念となる考え方、陰謀論、宗教などにはきちんとした正当性や論理体系があることが多い。それを決めつけなく理解し、正当にその論理の構造と世界観を調べる方法を考えたい。

 近年、陰謀論に関する話題が増えている。陰謀論やそれを強く信じる人々は以前から存在していたが、社会問題として注目され、ニュースなどのメディアで頻繁に取り上げられるようになったのは、比較的最近である。その背景には、ワクチンなどの公衆衛生上の問題を引き起こしたり、ハラスメントにつながったりすることがあるなど、社会におよぼす影響が顕在化されてきたことがあると考えられる。
 こうした問題に対して、「陰謀論を信じる人の考えを改めさせるべきだ」という意見がしばしば見られる。そして、その方法として取り上げられるのが「真実を伝えること」である。しかし、この方法が実際に十分な効果を上げているようには見えない。少なくとも、真実を伝えた結果として、陰謀論を信じる人が考えを変えたという話はあまり聞こえない。人は、自分が信じているものを否定する意見を、たとえ根拠付きで示されたとしても、簡単に受け入れるだろうか。占いを信じている人に「占いは科学的ではない」と伝えたら、信じるのをやめるだろうか。宗教を信じている人に「神の存在は科学的に証明されていない」と言えば、信仰心を捨てるだろうか。信念の否定は、そのまま信念の変更にはつながらないのである。
 陰謀論を信じる人は、多くの人が信じている「真実」とは異なるものを真実だと捉えているのだろう。そうであれば、陰謀論を信じる人にとって、相手が語る「真実」は真実ではない。真実だと信じていないものを、いくら真実だと主張されても、議論は平行線になり、言い争いになるだけである。そこで、ここでは「真実かどうか」という観点から一度離れ、「異なるものを信じる人同士のあいだで何が起きているのか」という視点から考えてみたい。
 たとえば、ある会社に二人の経営者がいると仮定する。一人は、組織はトップダウンで運営すべきだと考えている。すなわち、経営層が明確なビジョンを示し、社員の動きを統制することで最大の成果が得られると信じている。もう一人は、ボトムアップ型の経営を重視している。社員一人ひとりの活動や能力、アイデアを基盤とし、経営層は方向性を調整する役割を担うべきだと考えている。この場合、どちらが「真実」であるかという明確な答えは存在しない。どちらの方法にも一定の根拠は考えられるが、決定的に科学的であるとは言いにくい。
 ここで、その会社の多くの人が、世界的に成功している企業の多くがトップダウン型の経営を行っているという事実を根拠に、トップダウンこそ正しいと考えている状況を想定する。このような環境では、ボトムアップという考え方は少数派となり、極端な見方をすれば、陰謀論のように扱われる可能性すらある。そのような状況で、成功企業の例を持ち出し続け、「ボトムアップは間違っている」と主張し続けた場合、どうなるだろうか。考えを改める人もいるかもしれないが、人間関係が悪化するだけで終わる可能性も高い。
 異なる考え方が並立すると、どちらが正しいのか、どちらに価値があるのかという議論になりやすい。陰謀論も、多くの人にとって明らかに誤っているように見えるため、同様の構図に陥りやすい。しかし、自分にとっての真実を提示しても、それが相手にとっての真実であるとは限らない。先の例で言えば、トップダウンを支持する人は、強いリーダーシップ、経営層のビジョンやカリスマ性、組織全体の統一による効率性に注目している。一方、ボトムアップを支持する人は、社員のモチベーションや創造性、現場が最も問題を把握しているという点、そして現場の人数が経営層より圧倒的に多いという事実に注目している。着目点が異なれば、そこから導かれる信念が大きく異なるのは自然なことである。このような状況では、正しさや権威をめぐる議論に決着をつけることは容易ではない。
 陰謀論の場合、社会全体では陰謀論を信じない人が多数派であるため、「陰謀論は間違っている」と見なされやすい。しかし、実際の議論は多くの場合一対一で行われる。その場面では、「多くの人がそう信じている」という理由は必ずしも強い説得力を持たない。そのため、相手に自分の真実を認めさせることとは異なる視点が求められる。
 先の経営の例においても、「正しさ」以外の観点が存在する。たとえば、思考の出発点は何か、どのような論理の軸を持っているか、どのような価値観に基づいているか、何を目標としているか、感情やイデオロギー、実存的問題と結びついているか、といった点である。合理性や効率性、社会正義といった観点は比較的客観的であり、一つの物差しで測ろうとしやすいため、「どちらが正しいか」という議論に回収されがちである。これに対し、感情や実存、イデオロギーの問題は個人の内面に関わり、論の立て方や価値軸、目標そのものと密接に結びついている。人の内面は個別性が高く、一般化しにくいため、単純な正誤の議論にはなりにくい。ここでは後者の観点に注目する。
 陰謀論に対しては、「どこが間違っているか」を特定し、そこに真実を提示するという方法がとられがちである。しかし、論の出発点や価値軸、目標に注目するならば、まず相手の主張をそれらの観点から分析する必要がある。その前にもう少し考えてみると、実際には、「陰謀論は怪しい、だから否定しなければならない、そのためには相手の主張を読み解こかなければいけない」と考えることが多いように思われる。陰謀論が怪しいかどうかはともかくとして、このようにして相手の主張を紐解くことは自体が適切とは言えないだろう。その点からも、まず主張の背景にある価値や感情、思想といったものを解明して理解し、それらに基づいて主張の論を紐解いていくべきだろう。
 通常、論の分析では論理のつながりや妥当性が重視される。しかし、前提となる一般的な考え方そのものが異なる場合には、注意が必要である。論の展開がどのような背景を前提としているのかを把握しなければならない。たとえば、占いを好む人を考えてみる。占いの言葉は抽象的で、当否の判断も曖昧であり、科学的根拠もない。しかし、占いを「迷いの中で思考の方向性を与え、不安を和らげるためのもの」と捉えるならば、その意味は大きく変わる。この目的においては、一貫した世界観を提示することや、その世界観が自然や宇宙と結びついていると感じられることが、思考を受け入れやすくする機能を持つと解釈できる。前提や背景が異なれば、論の妥当性や人に与える影響は大きく変化する。楽しさ、美しさ、正義感、救済といった、人の認知や感情に関わる多様な要因を踏まえて、論を分析する必要がある。
 このように考えると、論を分析するためには、その背後にある概念的背景を理解する必要がある。しかし、それが明確に示されている場合は少ない。陰謀論についても、その背景が社会全体で共有されているとは考えにくく、信じている本人が明確に言語化できるとも限らない。このような背景を探る作業は、社会学や人類学の領域に属する。これらの分野では、同じコミュニティに属する人々に聞き取りを行い、前提や価値観を明らかにしようとする。しかし、この方法にも課題がある。
 第一に、聞き取り対象者が、論の書き手と本当に同じ価値観を共有しているかは不明である。占いを信じる理由が人によって異なるように、陰謀論を信じる理由や、そこから得ている価値も人それぞれである可能性が高い。陰謀論を信じない人が、どのような考え方に基づいて陰謀論を信じないのか、その信じないことはどのような価値を持つのか、人それぞれ大きく異なりそうであるのと同じである。聞き取り結果を抽象化・一般化すれば共通点は見えてくるかもしれないが、その結果得られる抽象的な概念が、具体的な論の分析に役立つとは限らない。
 第二に、聞き取りによって得られた情報のうち、何が重要で、どのように一般化すべきかの判断が難しい。たとえば、「祖母の遺言だから」という理由で陰謀論を信じている人がいたとする。多くの人はこれを一般的理由とは見なさないだろう。しかし、その判断は「現代社会では祖父母の遺言が強い思想形成の動機になりにくい」という常識に依拠している。常識から外れた考え方を理解しようとする際に、常識を基準に妥当性を判断することは適切であろうか。また、「祖父母との関係性に基づく遺言」と一般化すること自体が妥当かどうかも疑問である。祖母という存在に特別な意味づけがなされている可能性もある。少数の事例から一般常識と大きく異なる概念を抽出し、それに十分な確実性を与えることは容易ではない。
 以上を踏まえると、陰謀論を信じる人への聞き取りよりも、陰謀論の文章そのものから背景を推察する方が妥当である可能性がある。文章には書き手の内面や思考様式が何らかの形で表れていると考えられるからである。個々人の事情ではなく、陰謀論一般に共通する背景を知りたいのであれば、多数の文章を収集し、分析すればよい。個別に深いインタビューを行うことは容易ではないが、文章であればウェブ上から大量に収集できる。一つひとつの文章から得られる情報が限定的であっても、十分な数があれば、一定の一般性を持つ特徴を明らかにできる可能性がある。
 このような分析を俯瞰すると、二つの作業を同時に行っていると見なせる。一つは、文章の論理構造を、書き手の思想や背景から説明することである。もう一つは、文章の論そのものから、書き手が持っているであろう思想や背景を推測することである。この作業には、文章表現から心理や思想を読み解く文学的分析手法が適しているかもしれない。また、概念とその成立条件を明らかにする哲学の方法論も有効であろう。さらに、特定のコミュニティに共有される思想的特徴を捉えるという点では、社会学や人類学の手法も活用できる。しかし、いずれか一つの分野の技術だけでは十分とは言いがたい。複数分野を横断する融合研究、あるいは分析技術を組み合わせた新たな枠組みの構築が必要であると考えられる。そのような融合が実現すれば、個々の文章を必ずしも高精度で分析しなくとも、多数の文章を総合的に扱うことで、妥当性と説得力を兼ね備えた分析が可能になるとも考えられる。この分析手法自体の構築は、学術的に見ても自明ではなく、高い価値を持つ研究課題でなりそうだと思っている。

 戻る          宇野毅明のホームページへ