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異なるディシプリンでの解釈
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学術分野やビジネス、異なる文化など、世界観や価値観が異なる体系を持つコミュニティは数多くある。そういった異なる世界観や価値観や考え方のもとで、文章を読み解くとどうなるかをシミュレーションしたい。たとえば他の分野の考え方で自身の論文がどう評価されるか、そういったものをLLM(大規模言語モデル)などの計算技術を使って、どう理解されるかを論理構造として分析することはできないだろうか。
一つの意見や論説に対して、「これは良い、妥当である」という評価と、「それは良くない、おかしい」という評価が同時に示されることは少なくない。しかもそれは、単なる誤解や好き嫌いの問題ではなく、それぞれが合理的に論を組み立てた結果であってもなお、意見が真っ二つに分かれる場合がある。合理的な思考の帰結として対立が生じるという点には一種の不思議さがあるが、状況としては十分に起こり得るものである。たとえば、宗教を信じる人にとっては、その宗教の神事や儀式に対して金銭を支払うことは合理的な行為である。しかし、宗教を信じない人にとっては、生活が苦しくなるほどの大金を投じることに意義を見いだすことは難しい。このように、数学における公理系の違いに似て、思考の基盤となる概念や前提が大きく異なる場合、同じ事象に対してまったく異なる合理的結論が導かれるのである。
このような意見の対立は、ときに社会の分断や深刻な社会問題を引き起こす。しかし、対立する相手の意見についても、「なぜそれが価値を持ち、妥当であると考えられるのか」を、その論の構造や論拠に即して丁寧に説明できれば、理解可能なものにはなり得る。理解できたからといって受け入れられるとは限らないが、少なくとも「何を言っているのか分からない人」という認識は薄れ、感情的対立から、異なる考えを持つ他者として認識する段階へと移行する可能性がある。
このような相互理解を促進する手段として、大規模言語モデル(LLM)の活用は有効であると考えられる。専門家が個々の事例を逐一分析しなくとも、対立を理解したいと考える人々が、自ら関心を持つ意見について自律的に理解を深める手助けとなり得るからである。たとえば、昭和世代と平成世代のあいだには価値観の差異があると言われることが多い。そのギャップを埋めるために、特定の事象に対する相手の意見を分析し、その背後にある思考様式を探るという活用が考えられる。また、昭和時代の考え方のような社会全体にうっすら共有されている知識や概念を扱うことに関しては、LLMは比較的高い能力を示すこともLLM活用の利点である。
昭和世代や平成世代の考え方について、明確に体系化された記述が存在するわけではない。人間にとってこの作業は、「なんとなく違う」「なんとなくこう考える傾向がある」という曖昧な共有感覚を言語化する営みに近い。しかし、そのような「うっすら共有された知」は、明確な根拠や論理体系を伴わないことも多い。その結果、「この世代はこのように考える傾向がある」というパターン的提示にとどまる場合も少なくない。かといって、厳密な論を構築しようとすると別の困難が生じる。同じ世代に属し、似た価値観を共有していたとしても、その価値観に至る根拠や論の組み立ては個人ごとに異なる可能性が高い。むしろ多様であると考えるのが自然である。この多様性をひとまとめにして一つの論として構築することは、原理的に困難である。保守、リベラル、ナショナリストといったイデオロギーについても同様であり、内部には多様な根拠や思考様式が存在している。したがって、イデオロギーの視点から、ある意見の妥当性や価値を詳細に論証することは、特定の事例の説明にとどまりやすく、一般化は難しいと考えられる。
この点で、比較的論拠の多様性が低いものとして宗教が挙げられる。宗教には教義が存在し、そこに記述された思想や価値観が、信者の考え方を一定の方向へ導く。そのため、内部の多様性はあるにせよ、基盤となる論理の幅は比較的限定されていると考えられる。また、陰謀論のように、特定の思考様式自体が一種のコミュニティを形成している場合も、前提や論の型がある程度共有されているという意味で、多様性は相対的に低いとみなすことができる。このような状況であれば、多様性に起因する困難はある程度排除され、LLMによって比較的妥当な論の構築が可能になると考えられる。ただし、この場合でも、LLMがどのような過程を経てその論を導いたのかはブラックボックスである。なぜそのような結論に至ったのかという説明は、必ずしも明確にはならない。
宗教には教義があり、陰謀論には多数の文章や主張の蓄積がある。基本的な論の立て方や論拠の形成方法は、これらの文書に記述されているはずである。多くの意見は、そうした記述から一定の妥当性をもって導かれていると考えられる。そうであるならば、LLMのような大規模な手法を用いなくとも、より記号的・構造的な方法でアプローチできる可能性がある。たとえば、教義や関連文書から知識グラフを構築し、その知識体系と、現在着目している意見との対応関係を調べることが考えられる。そうすることで、その意見が当該知識体系の中でどのように位置づけられ、どのような意味を持つのかを、論拠と論の構造に基づいて明確化できる。ブラックボックス化を避ける意味で、このように意味を操作する方法は大きな意義を持つだろう。
このような研究を行うときに最も難しい部分は、適切な形での知識グラフの構築方法と、着目している意見と知識グラフの対応づけ方を表すモデルの設計である。文書から単純に知識グラフを構築すると、各センテンスが示す事実を網羅的に列挙した集合にとどまりがちである。しかし、文章は通常、複数のセンテンスや一段落単位で一つの概念的命題や論を提示している。それが反映されていない知識グラフでは、一般的な文書を説明する能力が大きく損なわれる。したがって、文書に含まれる概念的命題を網羅的に抽出する技術と、それを適切な構造を持つグラフに落とし込む技術が必要である。また、着目している意見をどのような形で知識グラフに変換し、それを本体の知識グラフとどのように対応づけるのかも自明ではなく、設計が必要である。既存研究には類似の試みがあまり見られず、新規性の高いグラフアルゴリズムやデータマイニングの研究となる可能性が高い。
ところで、このような意見理解の必要性が高い場面が一つある。学術分野、とりわけ研究資金の審査である。大型の研究ファンドの審査では、さまざまな分野の研究者が集まり、一つの申請書に対してそれぞれの立場から価値判断を行い、その意見を総合する。異なる分野からは当然異なる見立てが出され、ときには対立する。分野横断型の共同研究でも同様であり、提示された研究計画や目標に対して、分野ごとに異なる評価が示される。そして、それらは互いに理解しがたいことが多い。ファンド審査においては、審査員が経験豊富であるため問題が顕在化しにくい場合もある。しかし、分野横断型の共同研究では、参加者が必ずしもそのような場に慣れているとは限らず、相互理解の困難さが大きな障害となり得る。実際に共同研究を経験した研究者からは、この点の理解の難しさが重大な障壁であったという声が多く聞かれる。
学術分野においては、各研究の価値づけや前提となる考え方が、緻密に設計された論として記述されていることが多い。したがって、前述のような知識グラフに基づくアプローチを試みるには適した領域であると言える。研究者にとって学術界は自らが当事者となる場であり、研究を深化させやすいという利点もある。知の集積所である学術界において、意見理解の困難さという側面が存在していること自体も興味深い。このような研究は、高い学術的関心を集める可能性を持つかと考える。
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