荒い言葉使いを文化として読解するAI

 言葉使いが荒いと攻撃的だと思われているが、同時に真剣に向き合っていると捉えられることもある。単に言葉使いだけでなく、その意味内容や背後の発言者の意図などをLLM(大規模言語モデル)で計算的に分析すれば、SNSやWeb掲示板などでの言葉狩りではない方法人々の態度を知ることができるのではないか。

人は他人の語りや他人が書いたものから、その書き手の気持ちや性格などをある程度読み解くことができる。それゆえにあまりひどいことを言っていないように見えるSNSの投稿を読んで、その裏にある攻撃的な気持ちを感じ取り、傷つくこともある。逆に書き手はそのように読まれないように注意を払いながら投稿することもある。一方で、一般には人を傷つけると言われるような荒々しい言葉使いが平気で使われているところもある。2ちゃんねる掲示板などの一部のコミュニティや、仲の良い友達関係の間などは、傷つける言葉がじゃれあいや褒め言葉の意味合いを持ったりもする。
 場所が異なれば、このような場の雰囲気も変わってくる。たとえば自分のことがあちこちで噂になっているときに、雰囲気が荒れている場所での自身に対する言説を見つけると、ひどく傷つくだろう。だからといって丁寧な言葉で全員がしゃべっていたとしても、攻撃性を感じれば傷つく。これとは逆に、荒れた雰囲気の場で暖かさを感じるようなやりとりが行われていることもある。たとえば、個人的な悩みに対して、言葉は悪いが熱意をもって向き合っている多くの人が回答している場面も散見される。言葉は丁寧だが距離を感じる、向き合ってもらえないと感じるようなコミュニケーションがネット空間では多数派だろうと思われるが、その中でこのように向き合ってもらえる場は貴重であろうと思われる。言葉が丁寧であるかどうかと同時に、どのような意図で話をしているのか、その分析や理解が必要になるだろう。
 現状でも、このような分析を行い、雰囲気の違いを言語化して説明することはできるだろう。しかし、その説明が受け入れやすいものであるかというと、必ずしもそうではないのではないかと思う。雰囲気から物事を受け取り、それで起こる自らの感情は、人によって変わるものである。だから、他人にこれはこのような意図で書かれたもので、ここの場の人々はこのような気持ちで受け取られているものだと説明されても、はいそうですかと受け入れられるものではないかもしれない。それはあなたがそう思ってるだけではないですか、あなたはそう受け取るかもしれませんが、他の人はほんとにそうなのですか、というような反応がおこるかもしれない。客観的であると受け入れやすい分析であることが大事かもしれない。その意味では、あまり深い説明をするよりも、比較的単純な事柄を単純に評価できるようなもののほうがいいかもしれない。
 こういった、意味を客観的に操作したい場面においては、LLMは大きな力を発揮するだろう。LLMは、文章がどのような意図で書かれたものか、どのように受け取られるか、ある程度確かに答えることができる。複雑な感情や一般的でない受け取り方や、そこでおこる感情を導き出すことは難しいが、ごく一般的なことがらであればある程度信頼できる。ただ、LLMを直接荒れた言葉が使われているところで使うと、その場に適した意図や受け取り方でなく、一般的な回答をしてしまう。そこで、その荒れた言葉が使われている場に投稿されている文章をLLMに学習させ、どのように受け取られるのかを分析させる。これによって、投稿された文章群を基準とした評価や解釈を作ることができる。
 LLMは意味を高次元ベクトル化するため、それが示す受け取られ方や感情喚起の要因をある程度定量化することもできる。これがどれほどの細かさで信頼性を持つものなのかはわからないが、少なくとも学習データから導かれるなんらかの指標を作ることはできているだろう。人によって解釈が変わり得て、かつ正解とみなせるようなものが存在しないときには、このような客観性が担保された指標のほうが、理解や議論の土台としては良い働きをするであろうと考える。

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