研究アイディアの図鑑

 LLM(大規模言語モデル)は、データや実験装置や文献などの研究対象や材料と、自身の興味の方向や価値軸を与えると、ある程度妥当で標準的な研究アイディアを数多く出せる。このアイディアの出し方やその価値付けのロジックなどを抽象化し、カテゴライズすれば、研究アイディアの図鑑のようなものができるだろう。それがあれば、研究計画の立案や研究の問いの探索に使えるだけでなく、査読している論文の新規性や妥当性の評価に使えないだろうかと考える。

 研究において、新しい研究アイディアを生み出すことは意外と難しい。ありきたりなものでは評価されにくい一方で、実現可能性や必要な労力を無視することもできない。解くのがほとんど不可能な問題や、簡単にできてしまう問題も、研究としてはあまり面白くない。また、アイディアを思いついたとしても、それが本当に面白いのか、価値があるのかを客観的に判断することも容易ではない。興味深く、価値があり、なおかつ実現できそうな問いを設定することは、研究の中でも特に重要な位置を占める。これは、企業における新規ビジネスの発案などでも同じであろう。
 近年では、このようなアイディア出しにLLMを活用する動きもある。現在の状況を入力し、考えられる研究プランを提示してもらうという使い方である。LLMは言語の扱いには長けているため、説得力のある説明を流ちょうに行ってくれるが、提示されるアイディア自体は、どこかで見たことのあるような、比較的ありきたりなものが多い。LLMが「もっともらしい文章を生成する機械」であることを考えれば、よくあるアイディアが多くなるのは自然なことである。ただし、提示されるアイディアは上手に整理されているため、様々なアイディアを俯瞰できるところはLLMの利点である。
 少し考えてみると、アイディア創出が難しい理由の一つは、偶発的な思考に頼る部分が大きく、体系的な思考だけでは導きにくい点にあるだろう。一方で、研究アイディアは説明されてしまえばその発想の経緯が比較的シンプルであることも多い。その意味では、ある程度の量の研究アイディアが、一定の方法論に基づいた演繹的な思考から導かれても不思議ではない。
 多くの研究には、その基礎となる既存研究があり、その研究の視点、研究対象、方法論、検証の方法などを変えることで新しい研究課題が作られる。ここでは、このような発想を「定型のアイディア」と呼ぶことにする。ただし、定型のアイディアはしばしば新規性が低く見られがちである。体系的に作れるということは、大きな壁を突破するような発想ではない、という印象を与えるためである。「Aで行った研究をBでもやってみる」といったタイプの研究は、「銅鉄研究」と呼ばれ、非自明性の低い研究として揶揄されることもある。しかし一方で、こうした研究が積み重なることで、研究分野全体の厚みや信頼性が高まるという側面もあり、必ずしも否定されるものではない。
 実際、分野内でよく知られた研究トピックでは、定型のアイディアに基づく研究が多数存在する。それらを俯瞰すると、研究者が既存研究をどのように変化させてきたのかが見えてくる。他の研究トピックに対しても、同様の変化を適用すれば、新たな研究アイディアを考えやすくなるだろう。逆に言えば、まったく新しいアイディアを考えたい場合は、こうした定型に当てはまらないものを探せばよいだろう。研究アイディアの評価においても、それが定型的かどうかは一つの判断材料になる。ただし、このような俯瞰を行うためには、多数の論文を読み込む必要があり、非常に手間がかかる。既存研究の対象や方法を変える際のパターンは、ある程度限られていることが多いため、それらを網羅し、「この分野では、研究の方法の変更は主にこの10通りが考えられる」といった形で整理できれば、図鑑のように参照することで定型のアイディアを簡単に生み出せるようになるはずである。しかし、そのパターンを作るためには、結局多くの文献を読み、それらを抽象化する作業が必要になる。これは単に論文を読む以上に大変な作業である。一度作ってしまえば再利用できるという点では投資する価値があるが、学問分野の数を考えると、現実的には非常に負担が大きい。また、どのような視点で抽象化するかによって結果が変わるため、客観性や妥当性の問題も生じる。一人の研究者が視点や価値観なしに大量の概念を整理するのは大変難しく、出てくる結果に大きな揺らぎも出てくる。複数人で行えば揺らぎは減るが、その分労力は大きく増えてしまう。
 このような状況で有効だと考えられるのが、LLMの活用である。LLMは大量の研究文献を学習しているため、あまり尖ってはいないが妥当なアイディアを出すことを得意としている。たとえば、「実験方法を変えるパターンを30個挙げてほしい」と依頼すれば、概ね妥当な案を30個提示してくれる。ただし、似通ったもの、視点を変えただけのもの、現代の研究の流れから考えると価値や妥当性が低そうなもの、などが混ざることも多い。そのため、LLMが出力した案を取捨選択し、統合・整理して、改めてパターンとしてまとめ直す作業が必要になる。また、LLMは分野特有の暗黙知を十分に理解していないため、その分野の研究者なら自然に思いつく観点が抜け落ちることもある。それらを人間が補い、暗黙知の観点から再解釈することで、比較的妥当なパターンセットを作ることができるだろう。この方法であれば、膨大な労力をかけずに、しかも一人で作業しても結果のばらつきを抑えられると考えられる。
さらに、特定の制約を与えず、単に「この研究分野に関する新しいアイディアを大量に出してほしい」とLLMに依頼する方法もある。こうして出てくるアイディアは、必ずしも上記のような定型の方法に沿ったものばかりではないが、多くの文献を通じて形成された典型的な発想が反映されていると考えられる。これらを同様に抽象化すれば、より広い発想範囲を持つパターンセットを作ることも可能であろう。特定の研究トピックについて実際にアイディアを考える際には、このパターンセットと研究課題をLLMに与え、パターンに従って複数のアイディアを生成させることができる。また、ある研究アイディアがどの程度定型的かを確認するために、そのアイディアがパターンセットからどの程度自然に導けるかをLLMに判断させることも可能である。もちろん、アイディアの価値は定型かどうかで決まるわけではないが、発想のプロセスをある程度体系化し、判断の根拠を示せる点には大きな意義がある。
一方で、少し視点を変えて考えると、このような研究が進んだ場合に懸念されるのが、研究成果の権威化である。たとえば、このパターンセットからLLMで導けるかどうかで研究アイディアが評価されるようになるのは望ましくない。その対策としては、複数の研究者がそれぞれ異なるパターンセットを提案し、似たものが並立する状態を作ることが考えられる。そうなれば特定の枠組みが絶対視されにくくなり、定型のアイディアとそうでないものの境界も自然とあいまいになるだろう。最終的に、研究アイディアの価値を完全にシステム化して評価することは難しく、その部分には人間の感覚や判断、いわばアートが残る方が良いだろう。そうした人の判断を支える補助として、このような方法論が役立つと考えられる。

 戻る          宇野毅明のホームページへ