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景色や雰囲気の規格化した記述
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観光地や事業所、研究室などの雰囲気や情景を、美学の知見を使って標準的に記述して、人によって受け取り方が変化しないようにできないか。逆に、主観的な価値軸をも含んだ物語的な記述を作って、万人に共通ではない印象を伝える方法を、文学的なナラティブ研究の知見から構築する方法を考えたい。
部屋を借りるときには、広さや駅までの距離といった数値で表せる情報だけでなく、見た目や中に入ったときの印象、雰囲気といった、言語化や定量化が難しい情報も重要になる。しかし、数値化できる指標は簡単に共有できる一方で、こうした雰囲気の情報は非常に伝えにくい。「明るい」「落ち着いている」「シック」「動きやすい」など、特徴として挙げられる言葉はいくつもあるが、これらは測定や評価が難しい。「この部屋はシックな雰囲気だ」と個人が感じることはできても、それを確かな客観的情報として示すことは簡単ではない。雰囲気は部屋選びにおいて重要な要素であるにもかかわらず、それを客観的に整理し、伝えたり、入手したりすることが難しい点にはもどかしさがある。この問題は部屋に限らず、店舗、街並み、観光地など、多くの場所や施設にも当てはまる。現在、こうした情報の多くは口コミによって流通している。たとえばレストランの雰囲気を知りたいときには、大量のレビューを読んで調べるのが一般的だろう。しかし口コミには統一された形式がなく、着目点や使われる言葉もばらばらで、比較や参照がしにくい。また、星の数といった評価指標も、合理的ではあるものの、キャンペーンなどで操作される可能性があり、必ずしも信頼性や客観性を持つとは言えない。
さらに、雰囲気の捉え方は人によって大きく異なる。30年前に建てられた家を「古い」と感じる人もいれば、「新しい」と感じる人もいる。「落ち着いている」「昭和的」「昔ながら」「典型的なツーバイフォー住宅」「戸建て文化の時代の家」など、表現はいくらでも考えられ、それぞれが示す意味や印象も大きく異なる。すべての表現が同時に当てはまると感じる人は少なく、いくつかだけが当てはまると感じる場合が多いだろう。このように、雰囲気の記述には個人差が大きく、統一的な表現や、それらを集めたデータベースを作ることは難しい。
こういった、人間の感覚の客観的な分析に対しては、美学の研究がぴったりである。美学は美の本質や原理、芸術、感性、価値などを哲学的に探求する学問分野であり、多くの人々に共通する普遍的なものを客観的に分析し、言語化し概念化していく学問である。その研究対象には体験や感覚も含まれ、雰囲気もその一つである。雰囲気に関する概念を整理し、ほとんどの人にとって妥当であろう特徴づけを行えれば、客観的な雰囲気の記述に大きく貢献するだろう。ただし、哲学は本来、実用上での有益性よりも物事の根本に目を向けることが多く、簡潔で網羅的、かつ使いやすいなどの有益性や利便性を志向した分析や記述体系を目指す学問ではない。哲学は工学ではないからだ。雰囲気の記述体系を作ろうとすれば、哲学ではあまり行われてこなかった思考が必要になり、そこには大きな挑戦と非自明性がある。工学的利用を意識した哲学的成果は、近年の産業やビジネスにおける哲学への注目の大きさを考えれば、非常に重要な研究方向であり、高い価値を持つと考えられるだろう。
一方で、客観的で普遍的な記述は妥当性が高い反面、情報としての価値が薄れてしまうことも多い。上記の30年前に建てられた家も、客観的に表現すれば「極端に古くも新しくもない」となってしまうだろう。かといって「昭和時代の雰囲気を残した平成の建築」のようにすると、哲学的なかちかんからは「昭和の雰囲気とはなんだ」という話になってしまう。しかし、情報の受け手からすると、「きわめて古くも新しくもない」よりは「昭和の雰囲気を残した」のような情報のほうが雰囲気を知るための有用性は高いだろう。昭和の雰囲気を残していることが一体どのようなものなのかもわからないにもかかわらず、このような情緒的な記述は情報の受け手に雰囲気の印象を与えるし、現地に赴いたときの納得感も大きくなるだろう。思い返せば、レストランの口コミを参照するときも、多くの人は普遍性と客観性が高い情報ではなく、個人の体験に基づいた情緒的な記述を鍵にして評価してるのではないだろうか。多くのレビューに普遍的に表れる情報よりも、一人の評価者が書いた体験のストーリーのようなものが、意思決定の決め手になっている面はあるだろう。
こう考えると、普遍的・客観的な記述とは別に、固有性が高く、曖昧さを含んだ記述もまた重要であると言える。そのような記述は、個人の体験、「この家の前に立った時は、ある曇った日の夕方で、窓にあたる夕日が軒下の窓ガラスに反射し、赤と焦げ茶色のコントラストが織りなす光と影の幾何学模様が視界いっぱいに広がっていた」のような、ストーリー、語りのようなものが適切であるかもしれない。
このような記述の価値を高めるには、ある程度の普遍性と客観性を持ったストーリーや語りを生成することになるかもしれない。これは美学とは異なる問題であり、むしろ文学やナラティブの分野に近い。ただし、文学は作品を分析・解釈する学問であり、上手に文学作品や語りを作る方法を研究しているわけではない。 ここで考えられるのがLLMの活用である。LLMは膨大なテキストデータを学習しているため、雰囲気に関する記述についても、一定の妥当性を持つ表現を生成できる。ただし、条件や視点を与えずに生成させると、ありきたりな内容や極端な表現、場合によっては事実と異なる記述が出てくることもある。そのため、「どの視点で」「どの点について」「どの抽象度で」といった指示を与えることで、記述の妥当性や信頼性を高めることができる。さらに、LLMの生成結果に一定の妥当性を仮定すれば、「この家は昭和時代の典型的な様式を継承している」といった、やや曖昧で主観的な表現についても、ある程度の客観性を持たせることが可能になる。これは、哲学的アプローチよりも実用的な記述ができる可能性を示している。
このようにすれば、情緒的な記述を、ある程度の普遍性と客観性を保ったまま生成することもできる。情緒的な表現は本来多様で安定しにくいが、多数生成してそれらを分類することで、どのようなタイプの情緒的記述が存在するのかを把握できるようになるだろう。これは、口コミのような個々人の体験に依存した記述とは異なる、新しい形での雰囲気の伝達と理解を可能にするものになるだろう。
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