ITシステムが作る未来をシミュレーションしたい

 新しいITシステムやコミュニケーションツール等に対して、人々がどういう想定外の新しい使い方を発明して、新しい価値や社会を作っていくのかを知りたい、そのためにある程度の妥当性を持ったシミュレーションの手法は作れないだろうか考えたい。

 新しいITシステムやコミュニケーションツール等に対して、人々がどういう想定外の新しい使い方を発明して、新しい価値や社会を作っていくのかを知りたい、そのためにある程度の妥当性を持ったシミュレーションの手法は作れないだろうか考えたい。

 SNSやソーシャルメディアをはじめとする多様なITシステムが、現代社会に次々と導入されている。これらのシステムによって、人々の生活様式、コミュニケーションの在り方、情報の取得方法などは劇的に変化してきた。現代社会は、そのような急速な変化を特徴とする時代であると言えるだろう。新しいシステムは大きな利便性や利益をもたらす一方で、さまざまな弊害を生む可能性も持っている。もしその弊害を事前に予測できるのであれば、対策を講じることが可能である。しかし実際には、予測が困難な影響が数多く存在する点が問題である。人々はしばしば、開発者の想定を超える使い方を発明し、そこに新たな意味を見いだしてしまうからである。
 たとえば、LINEの既読機能は、東日本大震災直後に通信インフラが大きな被害を受け、安否確認のメールにさえ返信できない状況が生じたことを背景に実装されたとされている。少なくともメッセージが読まれたことだけでも分かれば、安否確認の一助になるという動機であったという。しかし実際には、相手がすぐに既読にならないことへの苛立ち、既読が付かないことへの不安、既読にしたのに返信しないことへの気まずさなど、新たな心理的負担が生じた。これは、コミュニケーションの在り方やその受け取り方が、従来とは異なる形で変化し、予想外の仕方で発明され広まった結果と考えられる。
 また、旧Twitter、すなわち現在のXにおけるリツイート機能も、多くの炎上を引き起こしたとされ、開発者の側からも実装すべきでなかったかもしれないという意見が出たと聞く。そもそもSNSが炎上という現象をこれほど大規模に引き起こすとは、人類は十分に予測できていなかったと言えるだろう。これらの新しいコミュニケーションの形は、人間の創造性の豊かさを示すものであり、文化的には喜ばしい側面を持つ。しかし同時に、そこから生じる影響を予測しにくいという点では、望ましくない側面もある。
 では、これらの影響は本当に予測不可能であったのだろうか。もし私自身が予測しようとしても難しかっただろうと思うが、完全に不可能であったとは言い切れないと考える。SNSが発明された段階で、それが広く普及し、人々が日常的に利用する世界になることはある程度予想できたはずである。そこでは、人々が自由に自らの意見を発信するであろうことも想定できる。ここまでは比較的容易に予測できる。問題は、その先である。人々がどのような意見を発し、それがどのように受け取られ、さらにどのような行動を引き起こすのか。その可能性を網羅的に列挙し、シミュレーションしていれば、ある程度の予測は可能であったかもしれない。人間が悪口を言いやすい存在であることは経験的に知られている。また、根拠のない噂が広がる現象は、古今東西どこでも見られる人類の一側面である。このような既知の傾向を組み合わせれば、炎上のような現象もある程度は想定できた可能性がある。
 では、なぜこのような予測が難しかったのか。その理由は網羅性にあると考えられる。人が発する内容は悪口だけではない。個人的体験、社会問題、時事的話題、仕事に関する報告、自身の活動の宣伝など、内容は極めて多様である。さらに、それらの発言がどのように受け取られ、どのような反応を引き起こすかにも多様なパターンがある。群衆がどのように動くかにも無数の可能性が存在する。これらすべての組み合わせを考えることは、きわめて困難である。そもそも、多数の分岐を持つ選択肢を網羅的に検討する作業は、人間にとって容易ではない。もしそれが得意であれば、将棋や囲碁のように多数の分岐を網羅的に読むことが重要なゲームは、多くの人が容易に上達できるはずである。しかし実際にはそうではない。このことからも、網羅性が求められるような思考に対して、人間の認知能力には限界があることがわかる。
 このように網羅性が求められる課題に対しては、機械的な方法を用いることが有効な解決策となりうる。すなわち、人々が投稿する典型的な意見の種類、典型的な受け取り方、典型的な行動パターンをできるだけ事前に列挙し、それらを一つずつ組み合わせて検討していく方法である。この方法は直感的思考に比べて単調で退屈に感じられるかもしれないが、強制的に網羅性を確保できる利点がある。一方で、直感的推察に比べると、個々の推察の質が低下する可能性もある。そのため、得られた多数のシナリオを人間がもう一度丁寧に分析し直す作業が必要であろう。多くのシナリオの中から違和感のある点や重要と思われる点を抽出し、改めて議論と考察を行うといった手順が必要になる。
 もっとも、この方法を人間のみで実行するには多大な労力がかかる。これでは、新しいITシステムの影響を検討する際に、試行錯誤的に手軽に用いることは難しい。ここで有効なのがLLMの活用である。人々の意見、受け取り方、行動の組み合わせを網羅的に生成し、シミュレーションする作業は、人間にとっては機械的で負担の大きい作業であるが、AIには適している。AIが生成した多数のシナリオの中から、危険性や未知の影響が想定されるものを抽出し、それを人間が吟味するという方法が考えられる。この抽出作業自体もAIに補助させることが可能であろう。この方法であれば、個人でも実行可能であり、専門性を持つ少人数が数日で検討することも現実的である。社会実装可能な技術となる可能性もある。
 もっとも、このように起こりうるかもしれない未来を予測する作業は、人文学の観点からは学術的価値が高いとは見なされにくいかもしれない。想像に基づく予測は現実性に乏しく、人間の本質に深く迫ることが難しいと考えられがちだからである。しかし、システムの安全性やセキュリティの観点からは、網羅的に危険なシナリオを検討することはきわめて重要である。起こりうる危険が事前に想定され、対策が講じられていることこそが、安全性の確保につながるからである。このように考えると、本手法は人文学的知見や思考法を活用した情報学的ツールであり、人文学の社会実装の一形態と位置づけることができる。従来の論文的成果とは異なる形であっても、人文学の知を社会に具体的に活かす試みとして、大きな価値を持つものであると考える。

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